ハイテクではなくシンプルに

小さいことが美しいなら、シンプルなことは往々にして効果的である。

地域の原材料と技能を使ったわかりやすい解決策は、たいていハイテクを差しはさむよりうまくいく。特に資源が限られている遠隔の地ではそうだ。

そうした解決策が、安全な飲料水に恵まれない10億以上の人たち、そして適切な衛生環境を持たない25億の人たちに希望を与えている。

ここにいくつかの例を挙げる。

1.命を救うゾウ

ジンバブエの学校で二人の子供が汚染された水を飲んで死んだ時、彼らの教師の中の3人──Ian Thorpe、Tendai Mawunga、Amos Chitungo──が、それを二度と起こすまいと心に誓った。

その決意は彼らを簡易ポンプの開発へと向かわせ、ポンプは速やかに国中へ、そして隣国のマラウイへと広がった。

多くの途上国で、高価なポンプを役立たずのまま遊ばせている。なぜなら壊れても修理するための予備部品がないからだ。

そこでその教師たちは、すぐに入手できる材料で簡単に修繕可能な安価なものの設計に着手した。2,000年前の中国製のデザインを基本にし、1本のナイロンのロープに70センチおきに一連のカップ形のプラスチック座金を取り付け、レンガで内張りした井戸から水を汲み上げるものだ。

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それを電気モーターでなく人の筋力で動かす──しかし力が少なくてすむので、5歳の子供でも動かすことができる。手回しや足踏みペダルを利用すれば、水は50メートルの地下から毎秒1リットルの割合でポリ塩化ビニール(PCV)のパイプ(この「ゾウのポンプ」の“鼻”の部分)へと汲み上げられる。

井戸は汚染を防ぐためにふたをかぶせる。 設置が簡単で、故障する機械部分もない。そして──もしロープが切れたら──単に結び目をつないで修理できる。

各ポンプは250人に1日40リットルのきれいな水を供給することができる。そしてポンプエイド(PumpAid)──このポンプを広めるために発足した慈善団体──は現在、マラウイとジンバブエで月に80基を設置している。

今までにこれらの国々で100万人以上にきれいな水を供給してきた。

そしてその拡大発展は始まったばかりだ。これに満足せず、ポンプエイドは衛生面の危機に対処する助けにとコンクリート製の「ゾウのトイレ」──設置費用がわずか30ドル──を現在開発したところだ。

2.水滴でより多くの作物を

収穫は灌漑(かんがい)しだいだが、誤った方法を使えば莫大な量の水を浪費することになり、さらにひどい場合には、土壌が塩分を含み不毛の原因となる。

植物の根に適量の水を目安に1滴ずつ与えることで──単に溝に水を送り込むよりも──これらの問題を避けることができる。

インドのメガラヤ州の農民たちは2世紀も前からこのことを知っていて、そうした細流灌漑用に竹を使っていた。

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彼らは丘の高いところにある小川や泉から毎分18~20リットルの水を流用し、口をあけた竹筒を組み合わせた複雑な回路を通して、黒コショウの苗の根元近くに毎分20~80滴の割合で水を与えた──少量で大きな効果を上げるために。

3.これぞリサイクル

途上国では何億もの女性たちが、毎日何時間も歩いて水を──多くの場合頭の上に乗せて──運ぶが、その水は飲用として安全ではない。

カリフォルニア州のシリコンバレーにある会社がこれを解決するため、三輪自転車を開発している。

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これに乗って水源まで行き、取り付けてあるタンクに不純物の混じった約77リットルの水を満たして帰途に着く。ペダルをこぐ作用で水が活性炭フィルターを通って浄化され、別のきれいなタンクに送られる。

たった3キロ自転車をこぐだけで、タンク全部の水が浄化できる──そしてこの浄化装置を動かすのも人力だ。

4.ガーランド(花冠)の岩

雨水を集めるのに、長い線状に並べた“花冠”と呼ばれる小さな岩を大きな岩の表面にモルタルで接合し、雨水をダムやタンクの方へ向けるやり方が長らく使われてきた。

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ケニアのKituiにはそれが400ヵ所以上もある。一方、ジブラルタル(Gibraltar)──その岩山で有名──の住民たちは、この方法で多くの水を集めている。

5.四角い広場の穴

ベニスのラグーン(=礁湖)の住民たちはいつも十分な塩水には恵まれていたが、淡水の入手は悩みの種だった。

9世紀まで、彼らはそれを得るために本土へ骨の折れる旅をするのが常だった。しかしその後、四角い広場の中央に雨水の集水のために石造りの井戸を作り始めた。

雨水は周囲の建物の雨どいや傾斜した舗道に沿って井戸に流れ込む。そこで砂の層を通ってろ過されて初めて、粘土で内張りされた貯水タンクに溜まる。

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ベニスはこのシステムに依存するところが非常に大きかったため、井戸を汚染する者は死刑に値した。

この井戸はもはや使われていないが、今でもベニスの至る所で見られる。

1886年に、近くの山々から淡水を導く水路が建設された。しかしこの技術は現代でも水不足の地域では採用可能である。

6.インカ族への信頼

考古学者のアン・ケンドール(Ann Kendall)は、今ではマチュピチュ公園の一部となっているクシチャカ(Cusichaca)渓谷にあるペルーの アンデス山脈で発掘を行なっていた。

その時、彼女の研究の成果を地域のニーズに応用することになった。

久しく打ち捨てられていたインカ時代の段々畑と灌漑用の水路の遺跡──それは数世紀前には数万人もの食糧をまかなっていた──を復興させれば、現在枯渇した土地でかろうじて生計を立てている農民たちを助けることができるのだ。

彼女は1977年にクシチャカ・トラスト(=基金)を創設し、3年にわたって村人たちを助け、7キロメートルの水路を再建した。

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石、砂利、粘土、土、そして砂など地域の原材料を使って破損した部分を修復し、古代インカ人がやったように粘土で水路の床を密封した。

水は丘の高いところにある小川や湖から段々畑に流れ込んでそれらをよみがえらせ、農民たちはキノア、トウモロコシその他の穀物を植えることができるようになった。

過去30年にわたり、この基金によって30キロメートルの灌漑用水路と600ヘクタールの段々畑の農地が再興し、同時に田園の開発計画を開始した──28,000人の暮らしを向上させるためと、世界のその他の古代灌漑システムを持続可能な農業のために復活させる可能性を示唆するためだ。
 

TUNZA日本語版 2009 Vol.1(通巻15号)