「水銀に関する水俣条約」8月16日に正式に発効

熊本毎日新聞より、犠牲者の慰霊碑の鐘を鳴らす海外参加者

水銀による環境汚染や健康被害の防止を目指す「水銀に関する水俣条約」は、8月16日に正式に発効します。
これに先立ち、7月1日、水俣からの声を発する記念行事が開催され、世界24ケ国、約150人が出席しました。UNEP本部のエリック・ソルハイム事務局長も参加し、「患者や家族達が立ち上がらなければ、条約の発効もなかった。水俣の悲劇を勝利に変え、条約の確実な実行につなげたい」と挨拶しました。

条約は、水銀を含む体温計や電池などの製造、輸出入を2020年までに原則禁止とするなどの内容です。第1回会議は、9月28、29日にスイスのジュネーブで開催されます。

以下、UNEP本部2017年7月3日のニュースの内容です。

ちょうど60年前、日本の南の地域で、一人の少女が、不安そうな両親に連れられて病院にやってきました。彼女はほとんど歩くことができず、うまく会話ができず、痙攣や発作に襲われるという状況でした。数日後、彼女の妹も同じ症状を発症し、それに続いて隣人、そしてさらに沢山の人々が同様の症状に苦しみ出しました。

水俣の町は、中枢神経系が破壊される原因不明の「疫病」に襲われました。 医師は、痛みで湾曲した手足、発話の喪失、そして、頻繁に起こる昏睡と死を目撃することになったのです。そして人間だけではなく、動物も同様でした。鳥は空から落ち、猫が痙攣を起こし、飛び跳ね回りました。それが “踊る猫病”とも呼ばれる所以です。
上流では、当時日本で最も先進的な工場の1つが、薬品廃棄物を湾に投棄していました。 水銀を含むスラッジは魚介類によって消費され、そこから沿岸地域の食物連鎖に入り、沿岸地域の住民が摂取する主食や、タンパク質が豊富な食物に含まれることになります。

この「疫病」の正確な原因が特定される数年間に、数百人の命が奪われることになります。
そして、水俣病事件は、企業が起こした最悪の公害としてこれからも歴史に刻まれていくでしょう。水俣は手足を麻痺させ、死に至る病の代名詞のひとつのようになったのです。

しかし、60年を経た今、その苦しみや汚名は行動に変わりました。それが水俣条約の発効です。これは、人々の健康と環境を守るためのグローバルな条約であり、二度と水俣病のような被害を繰り返さないようにするためのものです。この条約は、ここ10年近くの間に採択された、環境と健康に関する世界初の条約であり、世界保健機関(WHO)が、人々の健康に影響を及ぼす懸念があるとしている、トップ10の物質の1つである、水銀のライフサイクル全般に取り組むものです。
条約は8月に正式に発効し、「水銀の新たな歴史」を課題とした第1回加盟国会議が、9月28日と29日にスイスで開催されます。それは各国政府に 水銀使用の削減、汚染された場所の浄化、水銀中毒の被害者の健康管理の確保を、義務付けるものです。

でも、なぜ継続的なアクションが必要なのでしょう? 確かに、20世紀半ばから今日にかけて公害としての問題は解決されました。しかし、残念なことに、水銀自体の問題はこれにあてはまりません。そのため、各国が協力したグローバルなアプローチが必要なのです。

世界の開発途上国では、水銀は職人による小規模の金採掘に使われており、フィリピンでは、水俣で被災した子共たちのような事例も含め、恐ろしい水銀中毒の状況に至るのも、そう遠くはないと報告されています。

水銀はまた、石炭火力発電所から排出される可能性があり、世界の多くの都市が悩んでいる空気汚染に、もう一つの危険な要素を追加しています。それは廃棄物の焼却によって排出され、排出源から遠く離れた地域にまで到達します。そして水銀は、詰め物として歯科でも使用されて来ました。-また、アジアやアフリカで人気の、美白石けんやクリームなどにも使われています。

安全な曝露レベルというのはありません。誰もがその危険にさらされています。なぜなら、この危険な重金属は地球の隅々へ拡散し、日常製品の中にも発見される可能性があるからです。
水俣病の被害者のように汚染された魚を食べる人々ばかりではなく、子供、新生児、胎児は水銀に対し、最も脆弱です。また、職場で水銀を使用する人、水銀汚染源近くに住む人、そして危険な重金属が蓄積する傾向がある寒冷気候地帯に居住する人々も被災しやすいのです。

事実、我々は、何百万人もの人々が水銀中毒の危険に晒されることを考えながら、メイクアップしたり、電話機の電源を入れたり、さらには、結婚指輪を買わなければならないような世界には生きたくありません。これには明らかな解決策があります。 現在水銀が使用されている工程ひとひとつに、代わりとなる新しい、より安全な産業プロセスが開発されているのです。

この条約は大小すべての国が、役割を果たせるようになっています。そして同様に、路上の一般市民の男性や女性もです――どんな物を買い、そしてどんな物を使うか、自ら変えて行くことによって。
そしてこれこそ、水俣病の犠牲になった人々に、最も相応しい贈り物だと思います。